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大阪挑戦日記

大阪挑戦日記24

さて、皆さんも夏休みは残り1日といったところでしょうか。

中学校生活で最後の夏休み。

明日8月31日に何をするか、

しっかり考えておきましょう!

まだ終わってないぞ?!

 

先生は今日、

大阪府教員採用試験の最終テストを受けてきました。

今回の試験は

筆記(400点満点)と

模擬授業・面接(400点満点)で採点されます。

前回の日記の通り、

先生は筆記で盛大にこけてしまいましたので、

「100点あるかなぁ~」なんていう気持ちですが、

どうせ受からないなら、

爪痕(つめあと)を残してやろうと

今日は勇気を振り絞(しぼ)って頑張ってきました。

君たちには話したことがあると思いますが、

先生は君たちの前で本当の自分を出したことがありません。

いや、本当は1、2回あるんですけどね笑

先生の多重人格的な性格や言動は、

今まで出逢った尊敬すべき人達のコピーでした。

低い声で「委員長」と言うのはいい例でしたね。

今日はそのコピーの中でも一番老いたもの、、、

君たちの前でやったことあるのかな???

「おじいちゃん先生」のコピーで模擬授業をしてきました。

「それぇ~じゃあぁ~授業を始めていこうかねぇ~」

いい加減にしろというくらいの

ゆっくり、かつ、やわらかい口調で頑張りました。

模擬授業は実際に子どもがいるわけではないので、

大変やりずらいものですが、

1人の役者として演じてみれば、

何とか空間をとらえることができましたね。

悪くはなかったと思います。

大阪では、

合格した場合は得点が公表されませんが、

落ちた場合は公表されますので、

どちらにしろ、楽しみですね。

結果は11月くらいになります。

皆さんはこんなギリギリな大人にならないように、

今しっかり頑張りましょうね!

 

さて、今回は未成年の出産についてのお話。

先生が学生だった頃、

「14才の母」というドラマが話題になりました。

先生は見たことがないので、

ドラマの話は割愛しますが、

14才で妊娠したとして、

「出産するかどうか」

本人の一番の悩みどころになります。

「出産するかどうか」の2択なんて、

「ウみたきゃウめばいいし、

 嫌ならやめとけば?」

と、男の子には想像が難しいかもしれませんが、

女の子にとっては、

「自分が人殺しになるかどうかの修羅場」といっても

過言ではないほどの重大な問題なのです。

もし、出産するとして、

その後どんな苦労をするかなんて

14才には想像しきれるものではなく、

ただ漠然(ばくぜん)とした不安だけが膨れ上がります。

もし、中絶するとして、

自分のお腹に1つの命があって、

それを奪ってしまう、または奪ってしまったという罪の意識が

その後の人生にずっと残り続けることは、

14才でも分かってしまうのです。

妊娠に気付いて、医者に診てもらうのは

平均で「5週間」くらいだそうで、

中絶時期は6週~9週が妥当なのだとか。

その後の一生を左右する選択を考える時間としては、

短すぎる期間ですね。

「早い時期の中絶なら、

 まだ形もできてないんだから深く考えなきゃいい」

と男の子は短絡的に考えてしまいがちですが、

女の子はそういうわけにもいかない人の方が多いようです。

 

もちろん周りの大人の中には反対する人もいるでしょう。

「まだ養ってもらっている身分で

 まともに子どもが育てられるわけがない」と。

でも、出産の決意をした人は、

「私が責任を持って育てるんだ!

 あんたは黙ってろ!」

くらいの固い意志で、

鼻からスイカが出るくらいの激痛に耐えながら、

新しい命を誕生させるのでしょう。

子を持てば、誰でも母親。

両腕でしっかり抱えながら、

「この子は私が育てるんだ」

誰しも強く思うものです。

 

先生は今年、

14才の母のその後を見ています。

14才で妊娠したとして、

出産は15才。

その子どもが中学校1年生になる頃には、

母親は28才の計算になりますね。

もちろん夫なんている方が奇跡でしょう。

母親は家計を支えるため、

毎日働きに出ます。

帰れば家事をします。

毎日毎日クタクタです。

ある程度自分でできるはずの子の世話なんて

何から何まではしません。

もともと自分のことでも手がいっぱいですから。

でも今どきの子は、

夜遅くまで起きていることなんてめずらしくなく、

ほっとけばすぐに生活リズムはめちゃくちゃに崩れ、

一人でしっかりできる子なんて少ないです。

 

「まだ養ってもらっている身分で

 まともな子どもが育てられるわけがない」

 

「ただ生き長らえること」だけを

「育てた」というのならば、

確かに育てたことになるんでしょう。

けれど「人として」という観点から見るなら、

育てられているとは言い難い。

あなたが最初にその子を両腕に抱いた時、

その子の明るい未来をあなたは見ていたはずなのに

気付けば、

自分が味わってきた、つらさや苦しみを、

子どもにも味あわせようとしている。

きっと気付いていますよね?

 

世界のスピードが早すぎる、この令和の時代。

幸せの形なんて人それぞれで、

他人の尺度で測れるものではありません。

けれど、今のこの現状が、

あなたが子どもに見た本当の未来だったのでしょうか。

 

先生にはまだ、

この話を「残念で悲しい話だ」というには、

早すぎる気がします。

また数年にかけて考えていこうかと思います。

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