昨日、大阪府の1次試験がありました。
確か1次試験で落ちたことはなかったと思うけど、
自信がないぞね。
「こんな時はお酒を飲んで忘れてしまおう!」
というのはダメな大人の一例ですね笑
さて、前回の日記から、
今日は先生が悩んでいた話。
何を悩んでいたかというと、
授業が上手くいかないことで悩んでいました。
授業が上手くいかないことで悩むのは
新米の教師にありがちなことですが、
私にとってはその程度では済まされません。
私は授業力を上げるために、
教師の道を進まずに塾講師になるという
遠回りをしました。
この遠回りはかなり辛いものでした。
一般的には、大学を卒業したら、
就職をして、
忙しくとも楽しい日々を過ごし、
好きな人との今後の人生の在り方を考えたり、
社会勉強を思いっきりしてみたりするものです。
そんな楽しい20代前半を全て捨てて、
私はフリーターとして授業力を上げる道を決めました。
周りは、
会社に入って楽しそうだし、
結婚どんどんしていくし、
子どもまで作っていくし、
自分だけが足踏みしているような感覚が
ずっと消えませんでした。
学校の近くにビラをまきに行った時には、
学校から帰る子どもと、
正門で楽しそうに見送る教師を見て、
悔しさと妬(ねた)ましさの気持ちに
押し潰されそうになりました。
それから3年間、毎日寝る前に
「いつか俺も黒板で授業を!」と、
悔しさをずっと噛み殺しながら眠りました。
就職してない自分が
「待っててね」なんて言うことはできなかったので、
好きな人のことも諦めました。
大き過ぎる代償を払った3年間、
大学生のバイトの子にバカにされながら、
私は「どんな子にもわかる授業」を目指して、
ひたすらに自分と、
学校から見捨てられた子ども達に向き合ってきました。
ひたすらに頑張った結果、
中3でアルファベットしか書けなかった子を
平均まで上げて、公立に行かせたり、
愛媛県内で前代未聞の昇格を受けたり、
指名が殺到して、予約待ちになったりしました。
「どんな子にも分かる授業」を
「身に付けた」という自信がついた後、
先生は君たちの前に現れました。
先生は君たちに身に付けた全てをぶつけてみました。
君たちはそれによく応えてくれたことは、
とても嬉しかったし、
さらに先生の自信を高めてくれました。
最初の頃には「am」しか書かなかったあの子が、
最後には「先生分かるようになったよ」と
言ってくれた時は、
涙が出るくらいに嬉しかったです。
「このやり方を信じていいんだ」と
自分が遠回りした3年間が身を結んだと、
先生は胸を張れました。
そして、大阪へ。
6月から大阪の子たちを観察してきましたが、
やはり君たちは
「神がかっていい子達だった」と言わざるを得ません。
・敬語は使えない。
・授業中に歩き回る。
・トイレは水浸しにする。
・教室・廊下で鬼ごっこする。
・プロレスもする。
・ふざけて椅子を振り回す。
まぁこれくらいのことはどこでもある話ですが、
違うのは「怒られても反省できない」ことです。
今書いたことをやって怒られたら、
愛媛の子たちの第一声は、
だいたい「すみません」というものです。
ところが、大阪の子たちの第一声は、
「なによ?」です。
まるで考える力が皆無です。
本当に強く怒鳴られないと、
反省もろくにできないみたいです。
そんな子達が多いのですが、
大阪の先生は怒鳴ったりしません。
一体どうやって指導しているのかは、
まだ見えてきていませんが、
ある程度は緩くして、
度を超したらいきなりアウトといった感じが見えますね。
全体的に見れば、甘やかし過ぎています。
他教科の授業に目を向けると、
授業は歩き回る子もいますが、
基本的には静かに受けています。
ただ目は死んでいます。
とりあえず、黒板に書かれたものを写して終わっている
といった感じでしょうか。
今まで授業を成り立たせるために、
「黙って座っとけ」というのが
小学校の頃から染みついているという印象です。
さて、問題は英語科の授業。
今年は少人数ということで、
今まで教えてきた先生(A先生とします)と私の2人で
クラスを分けて行うのですが、
未だにクラス分けをしていません。
なので、今は2人が変わりながら授業をしています。
今日はA先生の日。
明日はわでぃの日。
みたいな感じです。
これまでのA先生の授業はこんな感じでした。
・文法は本当にさらっと流す(5分くらいで)
・単語をみんなで発音していく(20分くらいで)
・本文の解説をする(10分くらいで)
だから勉強が得意でない子たちは、
・文法
→5分休憩
・単語の発音
→とりあえず発音してみる
・本文の解説
→とりあえず黒板を写す
といった感じに受けて来たんだと思います。
そこに、私の授業が入ってきたわけです。
みんなも知っている通り、
先生の授業は文法指導がメインです。
大阪の子どもたちにとっては最悪ですね。
今まで5分我慢していればよかったものが、
50分みっちりやられるわけですから。
不満の嵐が巻き起こったわけです。
「A先生がいい!」という声がたくさん聞こえてきました。
そして「愛媛の先生いやだ!」という声もありました。
私はここで悩んだわけです。
この子達にとって授業は少しでも
楽しければいいのではないかと。
覚える知識なんて少しでいい。
いや、なくたっていい。
授業という退屈な時間が、
とりあえず早く終わればいい。
そんなふうに考える子が大半ではないかと。
「英語の基本は?!」と投げかけても
2、3人が小声で答えるレベル。
これでは本当に、
本当に望まれていないのではないかと。
今まで話を聞くことや、
思考力が皆無の子たちに、
考える授業をするのは無理ではないか。
このままいけば、
高校入試で必ず死に目にあうだろうが、
進学したい奴は塾に行けばなんとかなるか。
塾に行って本当に勉強しだしたら、
私の授業の価値が少しくらい分かるだろうが、
今のこの子達には到底わからんだろう。
私ではやはり通用しないのか。
私が積み上げてきた3年間は無駄だったのか。
この授業を止めるべきか貫くべきか。
先生は思い悩みました。
先生は
「恐れていた一番でかい壁」にぶち当たったわけですね。
6月始まって先週末まで悩んでいましたが、
もう一人ではどうしようもなくなったので、
A先生に相談してみました。
するとA先生は「貫いてください」と即答したわけです。
なんでも私の授業は反応は薄いが上手くいっているんだとか。
あまり信じられない答えでした。
でも、この4年間で救ってきた子達の顔を思い浮かべると、
やっぱり間違っているとは言えない気がしてきました。
そして、
「塾に行けない人でも、高校入試に対応できるようにする」
そんな最初で最後の砦(とりで)のような授業を
目指したのではなかったのかと、
初心を振り返ることができました。
今週、胸を張り直して、
堂々と授業をしてきました。
相変わらず反応は薄いものの、
生徒のコメント欄には変化がありました。
「言いたいものからが少しわかった気がするで」
と。
少しずつだけど伝わっているようです。
A先生の助言通り、
先生はこれまでやってきた
「バカでもわかるし、秀才にも楽しめる」
「価値の高い授業」を貫いていこうと思います。
「思考力がないから」と諦めてしまうのはダメですね。
だってそれはこの子達の可能性を潰しますから。
思考力がないなら、私が力を与えてあげるべきですね。
全国学力調査(2019)の中で大阪の順位は46位。
その大阪の中でも、この学校は下位層。
つまりは、この学校で通用すれば、
授業は全国どこでも通用できる。
やっと挑戦日記らしくなってきました。
この子達の学力を上げられるよう、
先生は頑張ります!