あっという間にGWが終わってしまいました。
昨年の激動を考えると、なんと素晴らしい連休だったはずが、
なんだか休めた気がしませんね笑
少し気が抜けてしまっているでしょうか。
大阪ではオンライン授業の指針が検討されています。
先生も超底辺Youtuberに進出しましょうかね。
さて、前回は運営のお話をしました。
少しは政治家たちが、どのような考え方で指針を出しているか
考えることができたでしょうか。
今日のお話は、今後の学校教育の運営のお話。
運営の考え方についておさらいしておきましょう。
柱は3つあって、
まず「最高の結末」
そして「最悪の結末」
その間をとって「結末の落としどころ」を考えていくんでしたね。
さて、今君たちの直面している学校教育について
この3つの柱をもとに考えてみましょう。
まず最初に基準となるものは何かを決定しなければなりません。
前回の話では「確保できる人員」が基準でありました。
みなさんは今の学校教育の
「最高の結末」と「最悪の結末」を決めるにあたって
基準となるのは何だと考えますか。
少しスクロールをやめて考えてみましょう。
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考えてみましたか?
先生は「教育格差」だと考えます。
この「教育格差」は学力の面だけではなく、
体育祭、文化祭、集団宿泊的行事等、
体育的または文化的行事も踏まえた「教育格差」です。
言うなれば「学校教育格差」という言葉が適当かもしれません。
これを結末に当てはめたならば、
「最高の結末」は、
「全国での学校教育格差がないこと」
「最悪の結末」は、
「全国での学校教育格差が過半数を超えて広がること」
だと考えます。
5月5日。
大阪府では、5月末までの休校延長が発表されました。
これで1学期の半分以上が消し飛んだことになります。
それにより、すでに中止が決定してしまった行事もあります。
もうかなり「最悪の結末」に近づきつつあるのですが、
それでも「少しでも学校の再開を」という声は止みません。
大人たちは言います。
「子どもたちのために」と。
果たしてそうだろうかと先生は疑問に思います。
御上は以前こう言っていました。
「オンライン授業を標準授業時数の一部として
認める措置を含めて検討していく」と。
そして、今現在はその言葉通りに現場が動いています。
果たしてそれでいいのだろうか、と先生は思うのです。
先生は教師になることを夢見てきました。
塾の先生で終わるなんて絶対に嫌でした。
なぜなら、塾は勉強を教えるところだからです。
勉強をさせて良い成績を取らせてナンボの職場です。
でも、学校は違います。
私は学生時代に学校で、
「自分の生き方を学ぶこと」
「友だちと一生懸命に生きること」
「人を愛すること」
まとめるならば「人生」というものを学んできました。
学校という場所は、
己と多種多様な「個性」とをぶつけ合いながら、
「人生」というものを学んでいく場所だと思っています。
先生はみなさんにこう言いませんでしたか?
「勉強より大事なものなんてクサるほどある」と。
みなさんには今もこれからも
勉強よりも学んでほしいことがたくさんあります。
なのに、今なぜ、大人たちは
君たちの学力にしか目がいかないんでしょうか。
そして、この全国的な学力の遅れを取り戻すことが
至難であるということを知っている癖(くせ)に、
なぜ強行しようとするのか。
学校再開ができるところもあれば、
未だ見通しの立たないところもあるのに、
どうして公教育などと言えるのか。
最近のお偉いさんの話には納得のいきかねるところが
多いように感じています。
では、「結末の落としどころ」はどこがいいのか。
先生は2月末、
全国的な臨時休校が叫ばれた時点で、
頭の中に「最長で1年の休校」という考えがありました。
しかしながら、今
第2波・第3波という新たな懸念事項が発生し、
「最長で2,3年」という考え方になりつつあります。
それならば、「全ての教育活動を1年停止する」のが
「結末の落としどころ」としてはいいのではないでしょうか。
1年教育活動を「停止」するということは、
進級しないということです。
世の中では「留年させるか」という親もいるようですが、
それもなんだかおかしな話に聞こえます。
なぜ「留年」などと悪い印象を与えられなければならないのか。
考え方は逆の方がいいでしょう。
「特別進級」とか、テキトーに名前を付けて、
希望する者が進級する制度を設ければいいでしょう。
そんな社会だめですか?
なんだか「最高の結末」に限りなく近づいたように
感じるかもしれませんが、
そんなに甘い話ではないでしょう。
我々は今後もインフルと同様の傾向で、
コロナと共存する社会になることだって考えられます。
ワクチンが開発されてから磐石(ばんじゃく)な状態と
なるには、恐らく数年はかかることも考えられるでしょう。
それに、1年教育を停止させたことにより
発生する問題は様々です。
大人たちはきっとこう言います。
「社会や経済に大きなダメージが入る」
「将来的に大きなしわ寄せがやって来る」
「保育園や幼稚園の対応はどうするつもりだ」
ざっくりまとめ過ぎですが、
いくつもの大きな問題が浮上して、
それに対する対応も凄(すさ)まじく大変でしょう。
でも、それって「子どもたち」に関係ありますか?
「子どものために」という都合のいい言葉を並べながら
フタを開けると、
結局自分たちの保身(ほしん)になってはいませんか。
「今の子どもたちには、少しでも勉強してもらって
とりあえず、進級してもらう。
社会の活動を止めないためにね。」
って言っているようにしか聞こえないっすよ。
しっかりと体制も確立できないまま、
地方に半ば丸投げで、
手探りで無理やりな教育活動をさせることが、
本当に「子どもたちのため」ですかね。
私は疑問に思います。
オンライン授業を含め、様々な体制の準備期間としても
1年くらい本当は要るんじゃないでしょうか。
これからオンライン授業を画策する身としては、
そんなことも考えたりします。
もう1つ。
尾木ママ大先生が、
「9月からの始業」という提案をしていました。
みなさんも知っていると思いますが、
みなさんの知っている外国のほとんどが「9月始業」です。
外国からすれば、
4月始業の日本が少し変わっているようですね。
さて「9月の始業」のこの提案。
とても考え的には素晴らしいものだと思いますが、
私は賛成できません。
これは私の持論ですが、
「考えが浅はかな教育ほど、ダメな教育はない」です。
みなさんもゆくゆく親となり
一人の教育者となるでしょうから、
是非覚えておいてほしい言葉ですね。
尾木ママ大先生の提案は素晴らしいのですが、
それを実行するのは尾木ママ大先生ではありません。
尾木ママ大先生ほどの実力者が何人も集結して
舵(かじ)をきってくれれば、
上手にことが運ぶでしょうが、
末端の私たちに指令が届く前に
考えの浅い人がひとりでも存在した時点で、
大失策となってしまうでしょう。
その場合に「緊急事態で焦った判断だった」
なんて言い訳は聞きたくありません。
だってそれは直接、
君たちのダメージになるのだから。
何回も話し合いを重ねた上に、
断念してきた御上が、
今少し乗り気になっているのはいかがなものかと。
大学の入試問題やプログラミングへの課題など、
しっかりと体制が出来ぬまま
何度も失敗を繰り返している御上が、
焦った状態で事を成すことができるでしょうか。
非常に危険ではありませんか。
御上こそ少しストップが必要なのではないでしょうか。
今日は批判めいたことを書いてしまいましたが、
たしかに私は少々いらだっています。
それは君たちの将来の一部がなんとなく想像がつくからです。
先生の時代は「ゆとり教育」真っただ中の世代でした。
先生は私立でしたから、あまり関係はありませんでしたが、
それでも「これだからゆとり世代は」と
蔑(さげす)まされてきました。
今勝手なことばかり言う大人たちは、
数年後に君たちのことを「これだからコロナ世代は」と
罵倒することでしょう。
「急ぎ過ぎた社会の過ちを取り戻そう」
なんて90年代に言われてた言葉ですね。
今、体制をしっかり整えず、
なにがなんでも進むことって、正しいと思いますか?
君たちは未来を生きるリーダーの1人として
どう思うのでしょうか。