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大阪挑戦日記

307.追憶編

(背景)
 中3の夏。政治なんて俺には分からなかった。けれども、今回の参議院選挙には、義家弘介(よしいえひろゆき)氏が出馬していた。

義家先生!!おめでとう!

見事に、参議院選挙通りましたぁ!!!

って、さっきのニュースでやってたから朝から日記書いてます!!

そして、俺もおめでとう!!

詳しい内容は何も言いませんッ!!

そして、痔の阿○氏さよなら~。

今日は、てか昨日?訂正ノートで徹夜した。。。

いや~、点数が低いと直すところが

いっぱいでたまりませんわい。

パイン~!!

今日こそ俺のバースディプレゼント頼んだぞ!!

じゃあ、学校にいってくるぜ~。

皆、おめでとう!!!!!!!

当時のコメント
パイン:へへへへへへー聴いたかいCD?音悪かったらすまん
WADHI:今、ムチャクチャ聴いてる。言う程音も悪くないし、
     いい感じ。あんがとー。
パイン:おう良かった②
    ラベル印刷できんかってすまんーインクナかったんよ
(回顧録)
 義家氏の著書である「ヤンキー母校に帰る」は、俺が唯一読んだ本だ。普段、読書なんてしなかったから、その内容に惹かれたところはある。ただあの時の自分が偉かったのは、「義家先生みたいな教師になりたい」ではなく、「自分も自分の思い描く理想の教師になりたい」と思ったことだろうか。義家氏については賛否両論の多い人ではあるから、今となっては好きとも嫌いとも言わないが、この義家氏やGTOの鬼塚なんかが、教師をやっているところを見聞きして、「自分にだって可能性がある」と夢をもらえたのは確かだ。
 そしてこの時代、小泉氏から内閣総理大臣は次々と就任と辞任を繰り返していった頃だった。その中に安部総理もいた(第1次安倍内閣)。あの頃テレビで見た安部総理は、なんとも頼りなかったのを覚えている。体調不良を理由に総理大臣を辞された時は、「またか」という思いだった。第1次安倍内閣は不祥事が続いて、その非難の声は安部氏に向けられていたと思う。だから、この日記に書いてあるように、俺も好きになれなかったのだろう。こういう風に印象操作にまんまと乗せられ、同調するしか能のないバカがいるから、日本人の民度が下がるのだ。因果関係というのは、しっかり見極めて結び付けなければならない。この日記の俺は「自分はバカの象徴です」と言っているようなもんだろう。
 俺が大学生の時に安部氏は再び総理大臣に就任した。自信に満ちた眼に、堂々たる振る舞いだったのを覚えている。「この人はやり直しに来た。その準備をしてきた。」というのを画面越しに感じ取り、その姿に惹かれたことを覚えている。今までの総理とは気迫が違った。だから俺はひそかに応援していた。安倍総理、長い戦い、お疲れ様でした。

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